2011年10月13日木曜日

災害ボランティア 活動レポート 9月22日出発メンバー ② 川崎 河野

1日目 9/22(木)南三陸町歌津入りするはずが、
前日の台風の影響で道路が浸水もしくは断絶されている
可能性があることから
翌日9/23(金)早朝4:00に仙台を車で出発して向かった。

東北自動車道を通り、沿岸部に行くまでに夜が明けてきた。
沿岸部に近づくにつれて自動車の山積みスポットが増えていった。

歌津の近隣の志津川付近につくと、
何度もニュースでみた映像が目の前に広がっていった。

震災から約200日が経過しているが、
撤去作業が思うように進まず道路以外津波被害の映像そのままの光景であることに衝撃を受けた。

翌日明るいときに車移動する選択は、『百問は一見にしかず』通って見てみれば正しいと実感した。

そんな景色をみている間に、目的地の歌津キャンプ場に到着した。

恒例になっている早朝ラジオ体操を済ませ、ミーティングを実施。

ミーティングでは直近まで優先順位や状況が変わることから
その日の仕事が朝分かることも稀ではなさそうだった。

行政やまわりのボランティアと調整しながら、
刻々と課題が変わっていく大変だなと感じる一方、
軽快に活動しているボランティア主催者の根気に脱帽した。

ミーティング後午前中の仕事を割り振られた。

私は近くの歌津中学校に行き、海外から支援されたおもちゃ(残り物)を再整理した。

おもちゃを種類ごとに数え、きれいなダンボールに詰め替える地味な作業。

だけど、遠い戦後から現在の子供までアナログで楽しめるおもちゃが懐かしく、
少しでも子供たちが癒されるのであれば無言のおもちゃも温かかく感じた。



この作業は午前中に終わり、午後はいよいよ瓦礫の撤去に入った。


どちらかというと2日目に高校生が団体でボランティアに来るため、
大人として指導するために作業内容を事前に知ってほしいとのことだったので短かった。


作業はなき家の残材の積み上げを手で燃えるもの(木材・紙・プラ・瓦礫等)と燃えないもの(金属屑)に分けながら撤去すること。

事故・病気・感染予防にヘルメット・ゴーグル・マスク・皮手袋等をしないといけなかった。




たった1時間半(休憩含む)の作業だったが、
撤去しても撤去しても出てくる残材に夢中になりあっと言う間に終わってしまった。

時折、生活感を感じさせる手鏡、婚約指輪のケースと思われるものや
子供の洋服など胸をうつものもあった。

正直なんともやりきれない気持ちだった。

数日後、日経新聞(電子版)に掲載されている記事をみて思った。

三重県鳥羽市(国崎町)に「高台に集合移住した国内最古の例」というコラムだ。

1498年の大津波で約1万人が犠牲になり、高台に移住したという。

500年以上が経った今でも海辺に民家はほとんどない。津波の教訓から家を高台に建てるのが『しきたり』で、猟師でさえ高台から浜に通うのが普通なのだという。

生き残った人から話を聞き、ボランティアを通じて行動し、関わり、その結果を伝え続けるように、活動を続けるべきだと改めて思った。



2011年10月5日水曜日

災害ボランティア 活動レポート 9月22日出発メンバー ①

924日:活動2日目】


姫路循環資源製造所の山崎です。
GWに続き、今回で2回目の被災地ボランティア参加です。
震災から半年が過ぎて、どの程度復興が進んだのか、ということや
地域の方はどう過ごされているのか、自分の目で確かめたいという思いもあり参加しました。


2日目の活動内容のご報告をします。

2日目は、1日目に引き続き、拠点近くの泊浜(とまりはま)
瓦礫・漂着物の片付けを主に行いました。

RQ歌津メンバー以外に、
ツアーで関東方面から来られた中・高校生の子と親御さん
総勢20数名の方々も加わり、RQボランティアも合わせると、
30名前後での活動になりました。

活動前の様子はこんな感じです。






元は水産加工工場であったという場所が、今は跡形も無く、
瓦礫や漂着物で埋め尽くされています。

午前9時ごろ、作業開始。
ガラス・鉄くず・段ボール・壁材等分別しながら集め、それを近くの集積場まで何度も軽トラで運びます。





最初はこんなに大量のものを片付けられるのか、と不安もありましたが、
さすが大人数でやっただけあり、
午後3時の活動終了時には、そこにあったガレキ・漂流物すべてとまではいきませんが、かなりキレイになりました!!



そして、夕方からは、ツアーのみなさんと、地元の大人の方や高校生も一緒に
RQ
拠点にてバーベキューをして親睦を深めました。

途中、地域の方に震災当日の様子などを詳しくお話いただく機会もあり、
一同真剣に聞き入っていました。
私も、実際の生の声を聞かせていただき、改めて津波の恐ろしさや
命の大切さを感じました。


今回、私が活動に参加して感じたことは、一言でいうと、
震災復興にはまだまだ時間がかかるということ、
そして、まだ人手はたくさん必要だということです。
津波被害があった場所は、半年たってもまだ瓦礫や漂着物が多く残っており、
復興への道のりの長さを物語っていました。
場所によっては全国から届いた救援物資がまだ残っており、
その配布にもっと人手が必要だという話も聞きました。
また、今回は周辺の住民の方などから
震災当日の津波の様子や現在の状況・お気持ちなどをお聞きし、
地域の方は今大変な苦境にさらされているというのを節々で感じました。
心のケアの必要性も前回以上に感じました。

しかし、そんな中でも地域の方々は、
お仕事の再開等に向けて日々前向きに取り組んでおられます。
そんなお姿を拝見して、逆にこちらが勇気や元気をいただきました。


会社からのボランティア参加は、今回が一旦最後になりますが、
私個人としては、東北の方の思いをつなぐために、
自分の地元で出来ることを行い、
「まだ震災は終わっていない」ということを伝えていきたいと思っています。

いつか、東北が綺麗な姿を取り戻し、人々に本当の笑顔が戻るまで…

2011年10月2日日曜日

被災地ボランティアレポート 9月15日出発 ②

堀の2日目午後の仕事----------------------------------------------------

 午後は一転、さえずりの谷のディキャンプ場作りを行いました。
リーダースパイダーさんの元、子供たちが楽しめるスペース作りとして、
キャンプ場の設営を計画したようです。

子供たちがそのスペースで安心して遊んでいる傍ら、子供のお母さん達の手が空き、
違う仕事が出来るようになったり、たまにはそのお母さん達の憩いの場となればと...

色々な効果を期待しつつ計画を練っているようでした。

 次の日が開催日ということもあり、皆急ピッチで作業に当っていた。
私の仕事はドラム缶風呂の階段作りとテントの設置、軽トラでの荷物の運搬が主な仕事でした。
子供たちがこの場所で楽しく遊んでいる笑顔を想像しつつ...









村上さんの2日目午後の仕事----------------------------------------------------

 さえずりの谷のディキャンプ場作りの中で、
奥へと続く森を子供達に探索してもらおうと
いう企画の基、そのルート整備の手伝いに参加しました。

 左右どちらのルートから行っても最終到達点の“見せ場”
となる小川のほとりには、天然の蔦にしがみつき、
川の向こう側に渡る“ターザン超え”や、
倒木を橋にして、その上を横に延びる蔦につかまりながら向こう側まで辿りつくという、
結構難易度の高いアトラクション?作りの手伝いました。

 事前視察?に来てくれた近所の小学生二人と一緒に探索をしながらの作業になりましたが、
二人は道らしい道がまだない森を進んでいくことが本当に楽しいらしく、
明日のキャンプ場オープン初日には沢山の友達を呼んできてくれると約束してくれました。

1日目の“アミクリ”(網のクリーニング)もそうでしたが、
“瓦礫の処理”や“ゴミ集め”
といった
“復興に向けて、まずフラットな状態にするための支援”
のフェーズから、生活を営むために必要なもの(漁網など)、
や余暇(キャンプ場など)、
に対する支援に内容が変わってきているんだなという事を強く感じました。

 また、今回少しでしたが現地の方達との交流がありました。
小学生とその親御さん、キャンプ場の土地を提供してくれている老夫婦(仮設住宅暮らし)。
南三陸町の有志の方達。

そのすべての人が、前回訪問(5月)に比べ、何か“いきいき”としていて、
地に足をつけて、やるべきことをやり、楽しむ事を楽しみながら生き抜こうとしている様に感じました。

本当にこちらが元気をもらうという様な。。。

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2日目終了。二日間という短い時間ではありましたが、
ボランティアの現状の一部を垣間見ることが出来たと思います。

私が行った活動が歌津の皆様にどれほどの支援となったかはわかりませんが、
ただ、被災者、被災地を支援する形は様々であり、
そこに共通している事は関わっている全ての人たちが、
被災地のいち早い復興を願っているという想いが集まってるという事。

現地に入ることでより身近に感じることが出来たと思います。
 RQに参加している方々の素性は様々です。
皆それぞれの想いを持ってこの場所に乗り込んできていました。
一人一人の出来ることは極僅かです。

その僅かな力がRQという団体を通じて集まり、大きな力となっている。
ボランティア団体にはそんな役割があることも生で感じることが出来ました。

以上

2011年10月1日土曜日

被災地ボランティアレポート ボランティア9月15日出発 ①

■内容
RQ災害支援センター 歌津センター

9月16日(金)

 活動初日、朝ミーティングの後アミクリ(網のクリーニング)作業班として出発。

猟師さんからの要望で漁で使用する網に絡まったゴミ等の除去作業。
リーダー田中さんの元、登米からの応援スタッフ2名とアミタ2名の5人で作業にあたった。

非常に地味な作業であった。
ただ、この網を使って漁が再開できることを祈りつつ作業にあたった。

 活動初日完了。

ボランティアへの参加が初めてであった私にとっては、描いていたイメージとはかなりかけ離れた感じを受けた。

被災者に直接何かをするイメージを持っていたからだ。
しかし、同時にこういった間接的な仕事が重要であるとも感じた。

誰かがやらなければいけない仕事があり、
その「誰か」という細かな役割をボランティアが担っていることを知りました。
メディアには到底出てこないようなところで、様々な人たちが活動しているんだと実感しました。

~百聞は一見にしかず~






9月17日(土)

 活動2日目、午前中はテント(物資置場)内の整理。

まだ配給前の支援物資を保管してある倉庫を、猟師さんからの依頼で、
設備機器を置きたいとのことから整理することになった。

野犬さんをリーダーに10名程度で対応。
人数が多かったこともあり、午前中で作業が完了。
そこには支援物資の余りがあり、配りたいけど配れない事情があるとの事でした。

量にも限りがあり、届いた人と届かない人との差が出てしまう為のようです。

被災地の現実を見たような気がした。




2011年9月30日金曜日

被災地ボランティアレポート 【ボランティア9月11日(日):4日目】その3

911日(日)4日目  

最終日。

ボランティアメンバーとの最後の食事を終えて
8時すぎにRQ歌津センターを出発しました。

今日は、震災からちょうど半年。
最後に南三陸町の防災センターに立ち寄ってから帰路につく事にしました。

防災センターに着くと、
取材のためテレビカメラを持ったメディア関係者の姿がちらほら。

また、喪服を着たご遺族の方と思われる方が、集まっておられました。

遠藤未希さんをはじめ、今回の震災で亡くなった方々を想い、防災センター前で、メンバー全員で手をあわせてきました。

いい歳した男4人がお揃いの歌津Tシャツを着て・・・

テレビ局のADに
「失礼しますご遺族の方ですか・・・?」
と声をかけられましたが、
おそろいのTシャツ着てるのに、そんな訳ないだろうと思いながら、
「いえ、違います」と答え、車に乗り、防災センターを後にしました。
地震発生時刻の午後246分、
那須高原SAエリアで休憩をとっていたメンバー全員で1分間の黙祷。
半年という節目の日にボランティアとして自分が被災地にいた意味をあらためて考えながら、残りの帰路につきました。


最後に、RQの皆様、個人でボランティアに参加されていた皆様、本当にありがとうございました。

また、いつか歌津に帰りたいと思います。

2011年9月29日木曜日

被災地ボランティアレポート 【ボランティア9月11日(日):4日目】その2

910日(土)3日目  松平兄弟

本日も2チームに別れ、松平兄弟チームは水の配給チームへ。

1.5ℓのペットボトル×12本を計90世帯分届けるという活動です。

RQスタッフの方のつながりで各地域の区長さんと連絡をとり、
届ける場所と本数を決め、軽トラ、軽自動車、平ボディ車、の3台で移動しました。
(中山 15世帯、名足6世帯、石浜65世帯、寄力9世帯)




合計 1.62tの手作業の積込と配給です。(1.5ℓ×12本×90世帯=1620ℓ)
腰がいたい・・・




行く先々ではすでに、地元の方が集まられており、
ペットボトルをお渡しする際、色々なお話も聞くことができました。


311日地震当日の話、
当日から今日までの苦労の話、
そして今日から明日への希望の話。

これからも物資の支給を続けてほしいと願う人と
自立のためにもう、配給はやめてほしいと僕らに訴える人。

ありがとうと言う人と、
何も言わずに持ち去る人。


僕にとっては貴重な時間だったと感じています。

2011年9月28日水曜日

被災地ボランティアレポート 【ボランティア9月11日(日):4日目】その1

中部営業所の松平です。4日目他のブログを担当します。
今回、私は4つ年下の弟と参加させて頂きました。


最終日のご報告…  の前に、
私と弟の兄弟チームは佐中さん鈴木君ペアとは違う活動を
2日目、3日目とさせて頂きましたので、
その簡単なご報告からさせて頂きます。


99日(金)2日目  松平兄弟

「ベトナムから物資が中学校に大量に届いた。
中身がわからないので、箱を空けて仕分けして欲しい」

との先生からの依頼があり、
我々兄弟含め、10数名で朝から歌津中学校へ。

到着してみると、段ボール約100箱が教室に山積み。

みんなで手分けして空けてみると・・・


中にはなんと大量のおもちゃ!




バービー人形、バットマンのフィギュア、トーマスのおもちゃ、
そして幼稚園、小学生向けのスニーカーに、かわいい洋服。

「ありがたいけど、なんで中学校に・・・
ここでは使えないから、仕分けして、配布してくれませんか?」

という先生の依頼を受け、みんなで仕分けの作業をしました。
あまりに種類が多く、仕分けも難航しましたが、無事作業終了。

その後、歌津の保育園、小学校とコンタクトをとり、少しずつ配布しました。
配布しきれず、残ったものに関しては、
後日、配りやすいよう男の子用セット・女の子用セットを用意しました。
(鈴木君のブログにあるとおり翌日、配布)

中学校の先生に大変感謝されました。


適正な場所への適正な物資と量の支給。
送る側としてはそれを把握する事は非常に難しく、好意で送った物資が被災者の方の負担になってしまう現実もあるという事を知り、こういった活動は送り手から受け手の好意を繋ぐ大切な役割なのだと感じました。

2011年9月27日火曜日

被災地ボランティアレポート 【ボランティア9月10日(土):3日目】

南関東営業所の鈴木です。3日目のブログを担当します。

歌津中学チーム参加者:佐中、鈴木

本日の午前中は、全国から歌津中学校へ送付された文庫本、マンガ本、絵本類の整理。

大量に送られた書籍を一旦ある部屋へ保管していましたが、その部屋は「相談室」。

校外カウンセラーの方からも相談室として使用できる状態に早くして欲しいと言われているそうで、目指せ「相談室 兼 マンガ喫茶!?
(二室はカーテンで仕切れるようになっています)

まずは書籍以外の荷物の整理、移動を行い、いざ書籍の選定へ。
善意で送っていただいた本も、きちんと整理しないと生徒が利用できません。
相談室の隣が図書室のため、特にマンガを中心に残して欲しいとのこと。
足りない巻数がないかの確認、どんなジャンルを残すかの検討を、
マンガが好きな数名のメンバーで選び、どんどん本棚へ。

レイアウトもばっちり行い、とっても素敵な相談室へ様変わりしました。

途中、部活帰り?の生徒たちが部屋をのぞいていきました。
学校にマンガが堂々とあるのも不思議だけれど、マンガから学ぶことはたくさんあります。
この部屋での時間を有効に使って、素敵な大人になってね、みんな!


お昼は青森県の地鶏、地豚、地牛のスペシャルメニューを炊出しして頂いた団体様からの
BBQに舌鼓を打ちつつ、午後の作業へ・・・。


午後は、昨日ボラが仕分けしたおもちゃ類(ベトナムからの支援物資)を子どもたちへ配布。
予想以上に人気があり、自分の大きさ以上になった袋を引きずりながら歩く姿がちらほら。
さながらセール会場のようで、保護者&子ども達のパワーに圧倒されつつ、
しまいにはその場で遊びだす子ども達も。
「一緒に遊ぼうよ!」と誘われ、童心に返って8歳児向けのおもちゃで遊んでいました!

中には保護者の方に「そんなに置けないから戻しなさい」といわれ、泣きながら戻す子どもも。
仮設住宅ではスペースが限られて、全部は持って帰れないよね。
友達同士、部屋を行ったり来たりして、色んなおもちゃを楽しんでね!


最後は送られた支援物資の一部が保管されている倉庫(図工室?)の整理。
通常の学校業務で必要な物資(コピー用紙等)と食料や水等の支援物資。
それぞれ必要な時期、タイミングが異なるため、倉庫整理のスペシャリストが必要だなぁと感じました。

二時間程度の力作業、数日間のボランティアなら何てことない作業だけれども、
日々そういった作業を行わなければいけない現地の先生方は、その二時間だけでも体力を捻出するのが大変な様子。
本当に短い時間だけれど、きれいになった部屋にとても感謝&感動され、
うれしくも、物足りない、そんな歯がゆさを残しつつその日の作業は終了しました。

最後は一日共に作業を行ったメンバーで、ハイ、チーズ!
仕事のつながりでいらっしゃったインドの方が3名いて、ナマステポーズで締めくくりました。


2011年9月26日月曜日

被災地ボランティアレポート 【ボランティア9月9日(金):2日目】

05:00 起床
朝食準備です。20人前の朝食とあって米の火加減が難しく、アシスタントに徹し洗い物や跡片付けをしました。




朝食後、作業開始です。
松平兄弟組は中学校で支援物資の仕分け作業、佐中、鈴木組は支援物資の韓国ラーメンを仮説住宅へ
配布する作業と其々分かれての作業となりました。

まずはテント倉庫内のラーメンを「平成の森」へ運ぶ作業ですが、大量(250~300箱)にあるため1世帯づつ配布することは難しいため、ある程度纏めて1箇所へ置いて各自で取っていって貰おうということになり、そのための看板?ポスター?作りからはじめました。




ここで鈴木君が意外な才能を発揮、すばらしい看板が出来上がりました。



早速、仮設住宅の一角に物資を纏め置きすると、あっという間に物資はなくなり慌てて追加で倉庫に物資を積みに行きました。




結局、平成の森には3往復し約250箱を配布しました。
その他、伊里前小学校仮設、歌津中学校仮設など配布し無事完了しました。

印象的だったことは、作業リーダーが物資が平等に配布されているかどうかを想像以上に気にされていたことです。

その夜地元の方とお話する機会があり、物資が原因でコミュニティの間で問題になっている。ということを聞かされ、「平等」ということの難しさを知りましたが、とても切ない気持ちになりました。
複雑な想いを旨に就寝しました。




2011年9月22日木曜日

被災地ボランティアレポート 【ボランティア9月8日(木):1日目】

【ボランティア98日(木):1日目】
マーケティング支援課の佐中です。今回のボランティアの1日目・2日目のブログを担当します。

参加メンバー:松平兄弟、鈴木、佐中 4

10:00 本社出発

さわやかな秋晴れの中、アミタ本社を出発。
途中渋滞にはまりながらも、お昼頃蓮田SAで休憩し、再び三陸へ。
登米のICを降り、しばらく走った道の駅にて最後の休憩をしているとそこで、思わぬ人と遭遇!「東北オフィスの松島さん!」
まさか、たまたま立ち寄った休憩場所で遭遇するとは・・・
聞けばこの辺りは松島さんの営業エリアで「庭」のようなものであるとのこと。
ひとしきり話をした後、各々目的地へ。

車を走らせ歌津に近づくにつれ、あらためて現実であったことを思い知らされました。

VCへ到着し、ドタバタとテントを張りオリエンテーションを受けました。
その後、夕食を頂きミーティング時に当日の作業報告、翌日の作業予定や食事係などを決めました。
主に朝食係、夕食係、トイレ清掃係、ブログ係などをミーティング時に決めます。

翌日の朝食担当として、現地ボランティア暦の長い「のんさん」と佐中が立候補して決まりました。
作業予定・係り決めは、基本的に立候補(自主性)に任されて、決まることが多い感じです。

その後、魚竜の湯(現地で無償で提供頂いているありがたいお風呂)をいただき、明日への活動に備え就寝。

2011年9月4日日曜日

被災地ボランティア第5便レポート 南関東営業所 小峯 ④

828日 東京へ
「震災から170日」
恒例の朝のミーティングで、ホワイトボードの文字が書き換えられました。

時間が経つにつれ、被災地から離れて生活する私たちには、自然に被災地の情報に触れることが少なくなって来ています。事実としてまだまだ避難生活を送る人がたくさんいることを知ってはいても、実感がわきません。その人たちがどんな人たちで、どんな事情があって、どんな気持ちで生活しているのか。そしてその人たちを、無償で無休で支え続けている人たちがいること。忘れてしまうのは怖いことだと思いました。
ボランティアに参加し被災地に入って、人々と話すことで、これを胸に刻みつけることができたと感じます。

RQ歌津センターに残り今後も活動を続ける皆さんと握手を交わし、私たちは東京へ向かいました。


地域の方々との交流会でつかう天狗ポストをつくっているところ。と天狗。

2011年9月3日土曜日

被災地ボランティア第5便レポート 南関東営業所 小峯 ③

827日 津波をかぶった畑、魚網のクリーニング
この日は、埼玉県から旅行会社のコーディネートで、高校生を中心に多くの方々がバスでボランティア活動に参加に来てくれました。
二手に分かれて、午前中は1チームは津波をかぶってしまった畑の片付け、もう1チームは魚網の掃除、午後からは合流して畑の片付け作業を行いました。





私は畑掃除班に入りました。畑に到着してみると、津波が運んできた漂着物まじりの土の上に背の高い夏草が生い茂り、とても野菜を育てていた場所には見えませんでした。

機械で草を刈り払い、スコップで漂着物を掘り起こし、手作業で根を抜きました。服、下着、食器、おもちゃ、会社の書類や看板、ストーブや電柱など、生々しい生活の跡が大根や人参とともに草の合間や地面から出てくるさまは、不思議なように感じました。

午後からは魚網クリーニングチームも加わり、総勢40名程度での作業です。夏草で覆われていた土地は見る見るきれいになりました。

草や漂着物は、道路脇に集めて積み上げました。
「この後、どうなるか決まっているですか?」
「さあ、どうしましょうか…」
見渡せば同じようにいたるところで道路脇に漂着物が積み上げられています。膨大な量の災害廃棄物の行き先は、まだ多くの場所で決まっていません。

掃除を終えて夕方、今度は支援物資を配りにRQ歌津センターの近隣に建つ仮設住宅をまわりました。
「支援物資はご入用でしょうか。水、米、醤油や缶詰などがあります」
といってまわると、今困っていないから困っている人に回してください、という方や、ありがとうございます、本当に助かります、と様々な方がいらっしゃいました。
「支援物資は、難しいんです。」
先輩ボランティアの方は言います。
平等に配布しなければ、むしろ確執のもとになってしまうこともあるとのこと。ひと世帯あたりの人数や、行政の支援をどの程度受けられているのか、世帯ごとの事情を把握する必要があると言います。
「行政の一律な支援では手の届きにくい部分を、丁寧に手当てするのが私たちの役割ですから」
と話してくれました。

2011年9月2日金曜日

被災地ボランティア第5便レポート 南関東営業所 小峯 ②

826日 避難所だった中学校
最初の作業は、避難所として利用されていた「歌津中学校」の片付け。体育館で避難生活を送っていた人々は、すでに仮設住宅等へ引越し、一見すっかり元通りのようでした。

しかしよく見ると、学校裏の倉庫の横には仮設住宅が並び、生徒の駐輪場は仮設の銭湯に姿を変え、教室には支援物資として集まってきた絵本や漫画、小説が沢山残されています。
この日は、本類の整理、倉庫の大掃除などを実施。
学校の用務員の方や生徒の保護者の方に、
「本当に助かりました」
と言っていただけました。



その夜、RQ歌津センターでリーダーを務める方のお話。
その人は、3月まで新宿で働いており、震災を期に仕事を辞めて、以来南三陸町でボランティア活動をしているとのこと。
「好きになっちゃったんです、この場所が」
そう話してくれました。
リーダーは、その日の活動開始の前に必ず、活動中に地震があったら、こう逃げてください、という指示をくれます。
「被災された方が、言うんです。いざというときは、人を助けようと思うな。自分が助かることを考えなさいって。人を助けたいと思うのなら、普段からいざというときどうするか、真剣に話をしておきなさい、って」
と、教えてくれました。

2011年9月1日木曜日

被災地ボランティア第5便レポート 南関東営業所 小峯 ①

「震災から167日」
私たちが到着した日、RQ歌津センターに掛けられたホワイトボードには、そう書かれていました。

825日 南三陸町へ
825日木曜日、アミタグループからの被災地ボランティアの第5便として、私たち5名は東京本社を出発しました。
宮城県道236号線を海側へ向かって走り、山間を抜けかけた頃、道路脇にグシャグシャにひしゃげた車が一台見えました。
「がれき処理のために、一時的に海沿いから持ってきて置いているんだろうね」
と言っていましたが、すぐにそうではないことが分かりました。
同じように鉄くずになった車が、道路脇にたくさん積み上げられているのが見えてきたのです。ここまで、津波が来ていたのでした。


町(だったところ)へ抜けると、まるで中東の戦場のような光景でした。壁だけ、土台だけになった建物、積み上げられたがれき。救急車が多く走っていました。
日本で信じられないくらい大きな災害があったのだと、実感した瞬間でした。

夕方、南三陸町でボランティアを受け入れている「RQ市民災害救援センター」の「RQ歌津センター」に到着しました。

最初の夕食は、各地からボランティアとして入り活動されている方々と一緒に、周辺唯一の食堂「あおぞら食堂」へ。もともと被災者への炊き出し支援を行っていた場所だとのこと。一杯200円のあたたかいラーメンを食べて、明日からの作業に備えます。