2011年4月8日金曜日

被災地・支援団体訪問レポート <その1>

48日(金)午後11:00、佐藤(アミタHD)、澤田(AISE)、鴨崎(信頼資本財団)の3人は東京駅で待ち合わせ、宮城県栗原市に向けて出発。途中、那須にある森林ノ牧場に寄って支援物資を積み込み、翌9日朝5:30に栗原市に着きました。

今回の被災地訪問は、「ひと・つながり募金」の寄付先団体である「日本の森バイオマスネットワーク(以下、バイオマスネット)」と「セカンドハーベスト・ジャパン(以下、2hj)」の活動の様子を拝見することと、そして被災地の状況とニーズを把握することを目的にしたものです。

まず、栗原市にあるバイオマスネットの志波姫中継所にて、バイオマスネットの唐沢さん、連携する栗駒木材㈱の大場さんらと合流。そこには全国から支援物資が届き、避難所や自宅避難者のニーズにきめ細かく応じて搬送されます。アミタからのささやかな支援物資もその仲間入り。最近は野菜類に力を入れていたようですが、物資の供給はおおむね行き届いたと判断し、定期的な供給に区切りをつけ、設置済みのペレットストーブのメンテに合わせて臨機応変に物資を届けていくとのことです。

バイオマスネットがペレットストーブを設置した石巻市大須小学校を訪問。その途中、被災地の姿を目の当たりにしました。
どこまでも、どこまでも、続くガレキの山、そして山。小雨に濡れる街は、行方不明者の捜索やガレキの処理に当たる自衛隊の姿以外は人影も少なく、無残な姿を寒々しく晒していました。
津波という自然の力を前に、人間はいかに無力であったか。20mを超える津波に襲われ、まさに呑み込まれた人々の恐怖と無念はいかばかりであったか。それを思うと胸の痛みを抑えられませんでした。

避難所になっている大須小学校には現在、300名ほどの避難者が暮らしています。そこにはバイオマスネットが設置したペレットストーブが赤々と燃え、人々の身体と心を温めていました。人々は丁寧にストーブを管理してくれており、「チロチロと炎が見えるのがいいねぇ」としみじみ語っていました。

ここの避難所には既に物資は充分に届いています。「足りないものは?」と聞くと「お金ぐらいだね(笑)」。まとめ役のお年寄りはストーブに当たりながら、「もう元の場所には戻れないだろう。再建には何年もかかると思うが、この地を離れたくない」「震災で絆が深まった近所の仲間と暮ら続けたい」と今の心境を語ってくれました。

(続く)