2011年4月12日火曜日

被災地・支援団体訪問レポート <その2>

4月9日(土)には、石巻市の石巻専修大学にある大規模な支援センターも
訪問しました。
そこには、「ひと・つながり募金」の寄付先である
セカンドハーベスト・ジャパン(以下、2hj)の大型トラックが
救援物資を満載して到着したところでした。
東京で集めた物資を現地の支援団体の拠点に届ける役目をしています。
この他、仙台市内に拠点を置き、小さなトラックで小規模な避難所に
直接物資を届ける活動も行っています。
仙台拠点の配島さんの話によると、救援物資は一通りいき渡った様子だが、
支援が退いて食料がまた不足する避難所があるなど、
継続的なケアが必要とのこと。
今後は、仮設住宅が建ち始めるとニーズも変化してくるので、
じっくり対応していきたいとのことです。






【写真5、6:テントに入り救援物資を下ろす
セカンドハーベスト・ジャパンのトラック】




今回2hjが石巻で支援物資を届けたのは、NGOピースボート。
ピースボートは100人規模でボランティアを東京から送り込んでおり、
1週間交替で被災地の泥掻きや炊き出しを行っています。
その日はちょうどボランティアが入れ替わる日でしたが、
2hjが運んできた物資をリレー方式で手際よく降ろしていました。
素人のボランティアが被災地に入るのはいかがなものか、
という議論もありますが、実際に被災地で聞いた話を総合すると、
ボランティアはもっともっと必要で、避難所の生活支援や泥掻きなど、
やってほしいことは山ほどあるようです。
課題なのは、広範囲に渡る被災地で、
ボランティアを適切に配置し動いてもらう仕組みがないこと。
ボランティアが余っているように見えることがあるのもそのためのようです。
個人的なことです恐縮ですが、そこで偶然、横浜に住む知り合いに
三年ぶりに出会いました。
仕事を調整してようやく現地に駆けつけたとのこと。
格別に嬉しい再会でした。

10日(日)、南三陸町の災害対策本部が置かれる避難所
(ベイサイドアリーナ)を訪問。
そこは多いときには1500人、今でも1200人が避難しています。
ロビーや狭い廊下には避難された方々が溢れ、
とても厳しい環境で日々を過ごしている様子です。
入口には、行方不明者が発見された時の状況や服装、
特徴が書かれた紙がびっしり貼られています。
そして、外の白いテントには数多くの遺体が安置され、
身元確認と埋葬を待っていました。





【写真:南三陸町の避難所になっているベイサイドアリーナ入口】


【写真:南三陸町の被害の様子-もとは家並みがあった場所。】



そこでお話した男性は、「これから衛生管理が心配だ」と顔を曇らせます。
その方は震災前は製材の仕事をされており、
「ここにいて不便はないが、早く仕事がしたい。」とのこと。
避難所の回りを駆け回って遊ぶ子供を見て、
「子供たちは元気でいいね」と笑顔を見せてくれました。

募金の寄付先である「日本の森バイオマスネットワーク」は、
ここでも活躍です。
WFP(国連世界食糧計画)が避難所に大型テントを建てたいが、
施工してくれる業者がみつからない、という情報を聞きつけ、
ボランティアで施工することを即決で引き受けました。
ネットワークの関係者、栗駒木材の社員、
そして避難所に応募してきたボランティアが力を合わせ、
奥行き30mにもなるテントを組み立てます。



【写真:WFPのテントを建てるバイオマスネットワークのボランティア】


翌11日に完成したテントには、さっそく災害ボランティアセンターが入り、
ちょうど降り出した雨をしのぐことができました。
これから、体育館に置かれている救援物資や
被災地で見つかった遺留品の置き場に使われる予定です。
このテントのお陰で、避難所の環境が少しでも改善されることを祈ります。





【写真:完成した大型テント】


民間の小さな避難所も訪れました。
そこは海岸から1kmほど入ったお寺です。
大震災が嘘のように静かな時間が流れるお寺。
この地区も津波に教われ、お寺には多い時で60人、
いまは27人の方々が避難しています。
そこではバイオマスネットワークが届けたペレットストーブや
薪ストーブが、避難所の暮らしを支えていました。
薪で焚くテントのお風呂も置かれ、とても快適そうです。
そこで薪割りをしていたのは、避難している高校一年生の男の子。
薪割りは初めてということですが、黙々と薪に向っている姿が
印象に残りました。
地域の人々が支え合いながら暮らす小さなお寺。
ここに、未来につながる確かな光を見た気がします。






【写真11、12: 南三陸町の谷間にあるお寺の避難所。
ソーラーパネルも置かれている。】



【写真13: お寺のすぐ下に流されてきた軽トラック。
この地も津波が襲い、多くの家が見る影もなく流された。】



日本の森バイオマスネットワークの唐沢さん(事務局長)と、
一緒に活動する栗駒木材の大場さん。
「近くで悲惨な目に会っている人たちを放っておけない」(大場さん)と、
休みなしで被災地と支援者の間を駆け回っています。


その強い信念に心を打たれ、状況に即応する行動力に感銘を受けました。
いま、ネットワークを基点に支援のつながりが広がっています。