2011年4月10日日曜日

被災地・支援団体訪問レポート <その1>

4月8日(金)午後11:00、佐藤(アミタHD)、澤田(アミタ持続可能経済研究所)、
鴨崎(信頼資本財団)の3人は東京駅で待ち合わせ、
宮城県栗原市に向けて出発。
途中、栃木県内のとある施設に寄って支援物資を積み込み、
翌9日朝5:30に栗原市に着きました。

今回の被災地訪問は、「ひと・つながり募金」の寄付先団体である
「日本の森バイオマスネットワーク(以下、バイオマスネット)」と
「セカンドハーベスト・ジャパン(以下、2hj)」の活動の様子を拝見することと、
そして被災地の状況とニーズを把握することを目的にしたものです。

まず、栗原市にあるバイオマスネットの志波姫中継所にて、
バイオマスネットの唐沢さん、連携する栗駒木材㈱の大場さんらと合流。
そこには全国から支援物資が届き、
避難所や自宅避難者のニーズにきめ細かく応じて搬送されます。
アミタからのささやかな支援物資もその仲間入り。
最近は野菜類に力を入れていたようですが、物資の供給はおおむね行き届いたと判断し、
定期的な供給に区切りをつけ、設置済みのペレットストーブのメンテに合わせて
臨機応変に物資を届けていくとのことです。





【写真:バイオマスネットの志波姫中継所】

バイオマスネットがペレットストーブを設置した石巻市大須小学校を訪問。
その途中、被災地の姿を目の当たりにしました。
どこまでも、どこまでも、続くガレキの山、そして山。
小雨に濡れる街は、行方不明者の捜索やガレキの処理に当たる自衛隊の姿以外は
人影も少なく、無残な姿を寒々しく晒していました。
津波という自然の力を前に、人間はいかに無力であったか。
20mを超える津波に襲われ、まさに呑み込まれた人々の恐怖と無念はいかばかりであったか。
それを思うと胸の痛みを抑えられませんでした。



【写真:壊滅的被害を受けた街。4階建ての建物の上にクルマが載っている】



【写真:20メートル近い丘の上まで津波が来た爪跡】

避難所になっている大須小学校には現在、300名ほどの避難者が暮らしています。
まだまだ朝晩の冷え込みが厳しい避難所では、
バイオマスネットが設置したペレットストーブが赤々と燃え、
人々の身体と心を温めていました。
人々は丁寧にストーブを管理してくれており、
「チロチロと炎が見えるのがいいねぇ」としみじみ語っていました。

ここの避難所には既に物資は充分に届いています。
「足りないものは?」と聞くと「お金ぐらいだね(笑)」。
まとめ役のお年寄りはストーブに当たりながら、
「もう元の場所には戻れないだろう。再建には何年もかかると思うが、この地を離れたくない」
「震災で絆が深まった近所の仲間と暮ら続けたい」と今の心境を語ってくれました。

(次に続く)