2011年4月13日水曜日

被災地・支援団体訪問レポート <その3>

「ひと・つながり募金」事務局の佐藤による被災地レポートです。
=====================================================

大震災からちょうど1ヶ月になる411日を、被災地で迎えました。

今回、復興の足音がまだ遠い被災地を巡り、
さまざまな立場の方からいろんな話を聞きました。
断片的なことしか分からない今の私には、
とてもそれを総括することができません。

ここでは被災地で聞いた生の声や情報をそのまま順不同で紹介します。

津波に襲われた元の家には戻れないが、この町を離れたくない。
避難所で地域の絆が強くなった。一緒に暮らし続けたい。
地元の木材を使って仮設住宅や復興住宅を建てたい。
着の身着のままで逃げてきた。避難所では、
食べ物をいただけるだけでもありがたい。
ぜいたくを言えば、熱いごはんと味噌汁が食べたい。
この歳になってこの町を離れたくない。
もういつお迎えが来てもいいんだから。
自衛隊が入って物資が行き渡るようになった。ありがたい。
生活の見通しがまったくわからない。どうしたらいのか。
避難所で亡くなる方もいる。早く何とかならないか。
避難所に支援物資が届いたとき、役所は「もう不要だから」と断ってしまった。
せっかく遠くから運んでくれたのに。
役所の人たちも大勢亡くなり、役所が機能していないようだ。
避難所の体育館の中には救援物資が積まれ、
人々は廊下やロビーに溢れている。おかしくないか?
これから暖かくなってくると、衛生状態が心配だ。
いまも風邪をひいている人が多い。
避難所で不便はないが、暇を持て余している。早く仕事がしたい。
まだ大きな地震が起きる可能性があるらしい。
恐ろしくて海の側には住めない。
高台に家を建てて住めたらいい。
ボランティアの横の連携が取れていない。
余っている所とまったく足りない所がある。
ボランティアにしてほしい仕事はいっぱいある。
なぜこの避難所には来ないのか?
ある学校では2/3以上の児童が亡くなった。
地震直後、規定の方針に沿って校庭に集まるように避難指示が出たが、
その場の判断で高台に逃げたクラスの児童だけが助かったという。
自宅を再建したいが、とてもお金がない。
町の大半が漁業・水産関係で仕事をしている。
復旧するかどうか、また仕事に就けるかどうか、皆が心配している。
役所はこのような時でも、立場や建前、手続きにこだわっている。
誰のためか?
これだけ何もなくなって復旧の見通しが立たなくても、
町を離れて出て行く人は少ないのではないか。
ふるさとを離れたくない人がほとんどだと思う。
新たな集落復興の地として、
地域の結の組織で所有する山林を使うよう申し出たい。
周りの支援者とともに再建したい。



 「全国から救援物資が届いている。その多くが個人の善意だ。
本当にありがたい。荷降ろしはいつも手伝っているが、
感謝の気持ちを届けたくて、こんなものを作ってドライバーに渡しているんだよ。」


【写真:被災地の向こうには、震災前と変わらない、美しい三陸の海】


(文責:佐藤)