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2011年5月7日土曜日

5月6日 ボランティアベースキャンプの環境整備

西日本営業所の大和です。5月6日は、復興ボランティア第2チームの活動最終日でした。
     
4日、5日までの漂流物の除去をする「作業チーム」だけでなく、6日は、「環境整備チーム」にも入り、活動を行いました。
      
「環境整備チーム」では、ボランティアに来られた方々が、よりよい作業環境でボランティア活動を行えるように、その名の通りボランティア環境を整備するチームになります。
 
具体的な活動として6日は、3つの作業を行いました。
 
① W.F.Pテント内の物資の整理
普段ボランティアの方々の多くが寝食を行うW.F.Pテント内にある、被災者用救援物資の整理を行いました。テントには国連W.F.P、韓国の加工食品メーカーー、日本の靴メーカー、飲料会社、加工食品メーカー等からの物資が届けられていました。ダンボールの積み方が悪く、崩れそうだったので、それらの積み替え等も行いました。
 
②作業着置場の設置
作業後に作業着をかけるハンガーがけを作りました。作業中の環境は決して衛生的に良いとは言えず、テントに入る前に手洗い、うがいはもち ろん、作業着、ヘルメットを外す必要があります。これができたことにより、作業場の汚れをテントに持ち帰らず、テント内の衛生を保つことが出来います。作業から帰ってきて早々「これは非常に助かります!ありがとう!」の声を多数いただきました。
     

 
 
③W.F.Pテントの補修
先日の強風による影響もあり、テントの一部に穴が開いたところの補修作業を行いました。これで今までテントの中に入ってきていた風を遮断し、少しはテント内を暖かい環境にすることができました。(5月とはいえ、歌津の朝晩はまだまだ気温が低く、10度以下になります。)
 
 
 
今回のボランティアを通じていろいろな事を学び感じました。それらを少しでも多くの方々に話し伝えていくことが、まず現地に行かせていただいた自分が真っ先にできる支援活動だと思います。
 

2011年5月5日木曜日

第2チーム 被災地ボランティア 2日目

事務局の名城です。第2チームの2日目についてご報告致します。

今日は、朝から「駅裏」(JR 歌津駅の周辺)と呼ばれるエリアの撤去作業を私達は担当いたしました。


ここは、歌津駅の真裏にある山間の場所で、田んぼには車をはじめ多くの漂着物が敷き詰められています。

今回は重機で作業ができない山の斜面に残された漂着物の撤去が目的です。

そばには保育園もあり、子供たちの登園が始まる前にこれらの物を取り除き、少しでも震災の記憶から離れて毎日通って欲しいという願いが込められています。

また30名以上で一日かけて行った作業で、見違えるほど山はキレイになりましたが、駅のそばの大きな漂着物の撤去には、まだまだ時間がかかりそうです。

この景色を少しずつ元に戻すために、明日も私達は頑張ります!

2011年5月4日水曜日

5月4日 歌津に舞い降りたトイレの神様?

マーケティング支援課の蝦名です。第2陣の被災地活動が5月4日から始まりました。私含めて、合計5名で5月6日まで現地で活動してまいります。場所は第1陣同様にRQ市民災害救援センターにて受入れていただいております。
被災地活動の報告は第1陣も行っておりましたのが、我々が活動している拠点の様子がまだでしたのでそちらについてと、第1陣について現地の方からうかがったお声をレポートします。

■RQ市民災害救援センター
この拠点はゴールデンウィーク前に開設されたばかりの拠点とのことですので、上下水道は未完備で、生活水は5km離れた民家からわけていただいているとうかがいました。
規模としては4日朝現在のMTGではスタッフ、ボランティアの方々合わせて約60名の方が集まっておられました。6日時点では20名程度に減り、我々が現地を離れた6日夜には10名ほどにまで減っていました。連休後の人手の確保は急務という状況でした。

■第一陣の活動の反響
アミタジャンパーを着用して、約10名の参加だったためかアミタさんまた来たねといっていただけることが多く、ありがたいことです。特にご反響いただいたのは、先輩社員丹下と角新でした。

「丹下さんと角新さんはね、たまりがちなトイレのごみやら、流水用のお水の補充とかを、いつも気づいたらやっておいてくれたんですよ。それにトイレ掃除等の段取りがすごくて、マニュアルまで作ってくれて、みんなでトイレの神様って呼んでいました。」

どうしても現地にボランティアに来たら、現場にでて作業したい。皆さんそうお思いになるのが普通だと思います。でも炊き出しから便所掃除まで、総務的なことも必要になります。どちらも重要な仕事なのですが、あまり人が希望しない仕事をすることで、皆様から感謝される。

我々が現地に着いたときは、トイレ掃除担当はトイレレンジャーという名前に変わり、非常に重要な仕事として、ベースキャンプで認識されるようになっており、皆が率先して挙手にて担当する状況になっていました。

第1陣に負けないように、第2陣も「皆師匠」、「良関係」で「仲間創造」をしていきます。

写真は5月6日にトイレンジャーを務める2年目社員の中西。トイレの女神になるべく奮闘しました。

2011年5月3日火曜日

第1チーム 震災ボランティア最終日!

こんにちは、西日本営業所の吉澤です。
ついに、第一チームの震災ボランティア最終日となりました。

本日の作業ですが、午前中はアミタ社員が二手に分かれ、三嶋神社の清掃活動と名足小学校で行われた衣服フリーマーケットの準備の手伝いを行い、午後はフリーマーケット組が合流し、全員で三嶋神社の清掃活動を行いました。



フリーマーケット会場の段ボールを片付け


ガレキの運搬作業中!

今回終日作業が行われた三嶋神社は、海の神様を祭った神社であり、地域の方々にとって大切な場所となっています。
作業は主に3グループに分かれ、神社斜面の漂流物清掃や境内の落下した瓦の撤去、階段周りの清掃を行いました。

薮の中をかき分けながら頑張ってます!

私は斜面の清掃を行ったのですが、強い日差しや強風でなかなか仕事が進みませんでした。

三嶋神社は海岸の側にあるということもあり、津波の影響でノートや衣服といった家庭用品から窓ガラスやタイヤといったものまで様々なものが漂着していました。また、流されたゴミが木の見上げるような位置に引っ掛かっており、今回の震災の津波による甚大な影響を強く感じました。



奥に見える橋でさえも流されてしまいました

ちなみに今日は、W.F.P(国連世界食糧計画)やアミタのキャンプテントが強風のため大きく揺れてしまい、それをおさえるためにロープで固めたりと、一日中強風に悩まされました。

清掃作業中、地元の方から「本当に綺麗になった、ありがとう」との声を頂くことができ、このボランティアが微力ながら地域の方々のために役立っていることを実感することができ、嬉しい気持ちになりました!


三嶋神社のビフォアー


アフター 綺麗になりました♪

このボランティアを通して私が理解したことは、「まだ震災は終わっておらず、復興はまだ始まっていない。」ということでした。つまり、今回の3日間の作業は、復興に向けた準備段階の作業であり、本格的な復興への作業というものはまだまだ先にあると感じました。

 依然として海岸周辺のガレキの撤去作業はほとんど終わっておらず、現在は主に道路や各公共施設の整備を行っているようでした。

また、1ヶ月以上が経過してもなお、中学校で生活されている被災者の方の数は伊里前中学校だけで100名以上おり、余震に不安を抱えながら中学校の体育館で寝泊りをするという心身ともに不安定な状況で生活を送られています。

一方、家が運よく流されなかった方も、家があるというだけで義捐金を貰えなかったり、お子さんの高校の入学金は免除にならないといった話をお聞きしました。

さらには、これから夏物の服が欲しいのに、あるのは冬物ばかりといった課題もあるなど、様々な問題を被災地は抱えています。

そういった意味で、被災地にはこれからも継続的な支援が必要だと感じました。

この度、私たちのボランティアを快く受け入れてくださった被災者の方々や、私たちの日々の生活をサポートしてくださったRQ市民災害救援センターの方々には心から感謝しております。また今後とも、このプロジェクトを継続的な形で行い、被災地の方々のご支援をさせて頂きたいと思っております。

短い間でしたが本当にありがとうございました。

ちなみに私は大阪に戻りますが、明日から第2チームが活動しますので、これからもよろしくお願いします。
皆さん本当にお疲れ様でした!

2011年5月2日月曜日

ボランティア2日目 グラウンド整備と避難所のお祭り

名古屋の中部営業所の喜多川です。

今年4月に入社して早々、今回の活動に参加しました。



昨日はボランティア2日目。南三陸町の伊里前小学校で活動しました。

沿岸部では建物が壊滅的被害を受けており、一刻も早い復興が求められています。

また、小中学校など地域コミュニティの中心地を元通りにすることも必要とされています。

昨日、私たちが活動した伊里前小学校ではグラウンドの半分に仮設住宅を建設中です。

残された半分もガラスや釘が散乱しており、子供たちが走り回るには危険な状況でした。


そこで昨日は一昨日に引き続き、皆でグラウンドのガラス拾いを行いました。

人海戦術で一列にならび、砂を掻き分けてガラスを拾います。

“目を皿のようにする”とはまさにこの事。

しゃがみっ放しの一日でした。一日かけてグラウンドを綺麗にしました。

そして次に向け一日かけて筋肉痛を育みました。









また昨日は震災後初のイベントの日で、歌津中学校でバーベキューなどが催されました。

そこで、私たちは昼から出店の手伝いもしました。

被災者の方々にとって待ちに待った一日だったのではないかと思います。








緊張感を持ってお手伝いに入りましたが、皆さんとても明るく親切で逆に笑顔を頂きました。

そして何と夜には地域の方々が呼んでくださり、ご飯を囲んでいろんな話も出来ました。

地震や津波の話、地域の状況など色々な話を聞けましたが、

思いの他とても明るい会となりました。被災者の方々の力強さを感じた一日でした。

一緒に活動したRQ市民災害救援センターのボランティアの方々とともに



そんな皆さんを少しでも支援し絆を深めるためにも、今日も頑張ろうと思います!

2011年4月30日土曜日

被災地に入りました!



こんばんは。アミタ社員の山崎です。

普段は、姫路にある姫路循環資源製造所で働いています。

今回は、ゴールデンウィークの休暇を利用して、被災地ボランティアに参加しました。



アミタグループは今回、日程を分けて、前半の第一グループと、
後半第二グループで活動をします。



私が参加したのは第一グループで、私を含むアミタ社員計9名が29日朝に東京を出発し、

のべ約8時間かけて被災地、南三陸町歌津地区に到着しました。

現地で合流した社員・役員3名を加えて総勢12名です。



そして本日、ようやく活動がスタート。



朝9時には宿泊テントを出て、まずはテント近くにある、

伊里前小学校の体育館に、

全国各地から送られた衣服類の運び込みを行いました。






明日には、こちらの体育館にて被災された方に配布されるため、

アミタ社員を含め、50名弱もの方々がバケツリレー方式で、段ボールを運びました。



女性用・男性用衣服のほか、タオルや子供服、防寒着など、

様々な善意が届けられていました。

中には、箱の外面に、「がんばってください」といったような、温かいメッセージが添えられたものもあり、

胸が熱くなりました。



運び込みは、全員で協力したおかげで早く終えることが出来、

次は小学校の斜面のゴミ拾いを行いました。



高台にある学校ですが、やはりそこにも津波が押し寄せたそうで、

紙くずやガレキなど、様々なゴミが散乱していました。





かなりの急斜面でしたが、こちらも皆で協力した結果、2時間程度で、

とてもキレイになりました!



午後からは、同小学校の校庭に落ちているガラスを

皆でいっせいに端から拾いました。






一見するとキレイな校庭でしたが、しゃがんでよく探してみると

鋭いガラス破片がたくさん落ちていました。

子供たちが、安心して、校庭を元気に走り回れるように、

と願いをこめて、皆一心に作業に励みました。



ただ、こちらの作業は途中雨が振り、一時中断。

止む様子がなかったので、しばらく雨の中拾いましたが、

雨が強くなってきたので、残りは明日、ということになりました。



活動終了後は被害の大きかった地域を視察させていただき、

想像を絶する光景に言葉を失いました。










まだ被災地に入って1日目ですが、

明日以降も引き続き、復興に向けて活動に励みたいと思います。




2011年4月13日水曜日

被災地・支援団体訪問レポート <その3>

「ひと・つながり募金」事務局の佐藤による被災地レポートです。
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大震災からちょうど1ヶ月になる411日を、被災地で迎えました。

今回、復興の足音がまだ遠い被災地を巡り、
さまざまな立場の方からいろんな話を聞きました。
断片的なことしか分からない今の私には、
とてもそれを総括することができません。

ここでは被災地で聞いた生の声や情報をそのまま順不同で紹介します。

津波に襲われた元の家には戻れないが、この町を離れたくない。
避難所で地域の絆が強くなった。一緒に暮らし続けたい。
地元の木材を使って仮設住宅や復興住宅を建てたい。
着の身着のままで逃げてきた。避難所では、
食べ物をいただけるだけでもありがたい。
ぜいたくを言えば、熱いごはんと味噌汁が食べたい。
この歳になってこの町を離れたくない。
もういつお迎えが来てもいいんだから。
自衛隊が入って物資が行き渡るようになった。ありがたい。
生活の見通しがまったくわからない。どうしたらいのか。
避難所で亡くなる方もいる。早く何とかならないか。
避難所に支援物資が届いたとき、役所は「もう不要だから」と断ってしまった。
せっかく遠くから運んでくれたのに。
役所の人たちも大勢亡くなり、役所が機能していないようだ。
避難所の体育館の中には救援物資が積まれ、
人々は廊下やロビーに溢れている。おかしくないか?
これから暖かくなってくると、衛生状態が心配だ。
いまも風邪をひいている人が多い。
避難所で不便はないが、暇を持て余している。早く仕事がしたい。
まだ大きな地震が起きる可能性があるらしい。
恐ろしくて海の側には住めない。
高台に家を建てて住めたらいい。
ボランティアの横の連携が取れていない。
余っている所とまったく足りない所がある。
ボランティアにしてほしい仕事はいっぱいある。
なぜこの避難所には来ないのか?
ある学校では2/3以上の児童が亡くなった。
地震直後、規定の方針に沿って校庭に集まるように避難指示が出たが、
その場の判断で高台に逃げたクラスの児童だけが助かったという。
自宅を再建したいが、とてもお金がない。
町の大半が漁業・水産関係で仕事をしている。
復旧するかどうか、また仕事に就けるかどうか、皆が心配している。
役所はこのような時でも、立場や建前、手続きにこだわっている。
誰のためか?
これだけ何もなくなって復旧の見通しが立たなくても、
町を離れて出て行く人は少ないのではないか。
ふるさとを離れたくない人がほとんどだと思う。
新たな集落復興の地として、
地域の結の組織で所有する山林を使うよう申し出たい。
周りの支援者とともに再建したい。



 「全国から救援物資が届いている。その多くが個人の善意だ。
本当にありがたい。荷降ろしはいつも手伝っているが、
感謝の気持ちを届けたくて、こんなものを作ってドライバーに渡しているんだよ。」


【写真:被災地の向こうには、震災前と変わらない、美しい三陸の海】


(文責:佐藤)

2011年4月12日火曜日

被災地・支援団体訪問レポート <その2>

4月9日(土)には、石巻市の石巻専修大学にある大規模な支援センターも
訪問しました。
そこには、「ひと・つながり募金」の寄付先である
セカンドハーベスト・ジャパン(以下、2hj)の大型トラックが
救援物資を満載して到着したところでした。
東京で集めた物資を現地の支援団体の拠点に届ける役目をしています。
この他、仙台市内に拠点を置き、小さなトラックで小規模な避難所に
直接物資を届ける活動も行っています。
仙台拠点の配島さんの話によると、救援物資は一通りいき渡った様子だが、
支援が退いて食料がまた不足する避難所があるなど、
継続的なケアが必要とのこと。
今後は、仮設住宅が建ち始めるとニーズも変化してくるので、
じっくり対応していきたいとのことです。






【写真5、6:テントに入り救援物資を下ろす
セカンドハーベスト・ジャパンのトラック】




今回2hjが石巻で支援物資を届けたのは、NGOピースボート。
ピースボートは100人規模でボランティアを東京から送り込んでおり、
1週間交替で被災地の泥掻きや炊き出しを行っています。
その日はちょうどボランティアが入れ替わる日でしたが、
2hjが運んできた物資をリレー方式で手際よく降ろしていました。
素人のボランティアが被災地に入るのはいかがなものか、
という議論もありますが、実際に被災地で聞いた話を総合すると、
ボランティアはもっともっと必要で、避難所の生活支援や泥掻きなど、
やってほしいことは山ほどあるようです。
課題なのは、広範囲に渡る被災地で、
ボランティアを適切に配置し動いてもらう仕組みがないこと。
ボランティアが余っているように見えることがあるのもそのためのようです。
個人的なことです恐縮ですが、そこで偶然、横浜に住む知り合いに
三年ぶりに出会いました。
仕事を調整してようやく現地に駆けつけたとのこと。
格別に嬉しい再会でした。

10日(日)、南三陸町の災害対策本部が置かれる避難所
(ベイサイドアリーナ)を訪問。
そこは多いときには1500人、今でも1200人が避難しています。
ロビーや狭い廊下には避難された方々が溢れ、
とても厳しい環境で日々を過ごしている様子です。
入口には、行方不明者が発見された時の状況や服装、
特徴が書かれた紙がびっしり貼られています。
そして、外の白いテントには数多くの遺体が安置され、
身元確認と埋葬を待っていました。





【写真:南三陸町の避難所になっているベイサイドアリーナ入口】


【写真:南三陸町の被害の様子-もとは家並みがあった場所。】



そこでお話した男性は、「これから衛生管理が心配だ」と顔を曇らせます。
その方は震災前は製材の仕事をされており、
「ここにいて不便はないが、早く仕事がしたい。」とのこと。
避難所の回りを駆け回って遊ぶ子供を見て、
「子供たちは元気でいいね」と笑顔を見せてくれました。

募金の寄付先である「日本の森バイオマスネットワーク」は、
ここでも活躍です。
WFP(国連世界食糧計画)が避難所に大型テントを建てたいが、
施工してくれる業者がみつからない、という情報を聞きつけ、
ボランティアで施工することを即決で引き受けました。
ネットワークの関係者、栗駒木材の社員、
そして避難所に応募してきたボランティアが力を合わせ、
奥行き30mにもなるテントを組み立てます。



【写真:WFPのテントを建てるバイオマスネットワークのボランティア】


翌11日に完成したテントには、さっそく災害ボランティアセンターが入り、
ちょうど降り出した雨をしのぐことができました。
これから、体育館に置かれている救援物資や
被災地で見つかった遺留品の置き場に使われる予定です。
このテントのお陰で、避難所の環境が少しでも改善されることを祈ります。





【写真:完成した大型テント】


民間の小さな避難所も訪れました。
そこは海岸から1kmほど入ったお寺です。
大震災が嘘のように静かな時間が流れるお寺。
この地区も津波に教われ、お寺には多い時で60人、
いまは27人の方々が避難しています。
そこではバイオマスネットワークが届けたペレットストーブや
薪ストーブが、避難所の暮らしを支えていました。
薪で焚くテントのお風呂も置かれ、とても快適そうです。
そこで薪割りをしていたのは、避難している高校一年生の男の子。
薪割りは初めてということですが、黙々と薪に向っている姿が
印象に残りました。
地域の人々が支え合いながら暮らす小さなお寺。
ここに、未来につながる確かな光を見た気がします。






【写真11、12: 南三陸町の谷間にあるお寺の避難所。
ソーラーパネルも置かれている。】



【写真13: お寺のすぐ下に流されてきた軽トラック。
この地も津波が襲い、多くの家が見る影もなく流された。】



日本の森バイオマスネットワークの唐沢さん(事務局長)と、
一緒に活動する栗駒木材の大場さん。
「近くで悲惨な目に会っている人たちを放っておけない」(大場さん)と、
休みなしで被災地と支援者の間を駆け回っています。


その強い信念に心を打たれ、状況に即応する行動力に感銘を受けました。
いま、ネットワークを基点に支援のつながりが広がっています。


2011年4月10日日曜日

被災地・支援団体訪問レポート <その1>

4月8日(金)午後11:00、佐藤(アミタHD)、澤田(アミタ持続可能経済研究所)、
鴨崎(信頼資本財団)の3人は東京駅で待ち合わせ、
宮城県栗原市に向けて出発。
途中、栃木県内のとある施設に寄って支援物資を積み込み、
翌9日朝5:30に栗原市に着きました。

今回の被災地訪問は、「ひと・つながり募金」の寄付先団体である
「日本の森バイオマスネットワーク(以下、バイオマスネット)」と
「セカンドハーベスト・ジャパン(以下、2hj)」の活動の様子を拝見することと、
そして被災地の状況とニーズを把握することを目的にしたものです。

まず、栗原市にあるバイオマスネットの志波姫中継所にて、
バイオマスネットの唐沢さん、連携する栗駒木材㈱の大場さんらと合流。
そこには全国から支援物資が届き、
避難所や自宅避難者のニーズにきめ細かく応じて搬送されます。
アミタからのささやかな支援物資もその仲間入り。
最近は野菜類に力を入れていたようですが、物資の供給はおおむね行き届いたと判断し、
定期的な供給に区切りをつけ、設置済みのペレットストーブのメンテに合わせて
臨機応変に物資を届けていくとのことです。





【写真:バイオマスネットの志波姫中継所】

バイオマスネットがペレットストーブを設置した石巻市大須小学校を訪問。
その途中、被災地の姿を目の当たりにしました。
どこまでも、どこまでも、続くガレキの山、そして山。
小雨に濡れる街は、行方不明者の捜索やガレキの処理に当たる自衛隊の姿以外は
人影も少なく、無残な姿を寒々しく晒していました。
津波という自然の力を前に、人間はいかに無力であったか。
20mを超える津波に襲われ、まさに呑み込まれた人々の恐怖と無念はいかばかりであったか。
それを思うと胸の痛みを抑えられませんでした。



【写真:壊滅的被害を受けた街。4階建ての建物の上にクルマが載っている】



【写真:20メートル近い丘の上まで津波が来た爪跡】

避難所になっている大須小学校には現在、300名ほどの避難者が暮らしています。
まだまだ朝晩の冷え込みが厳しい避難所では、
バイオマスネットが設置したペレットストーブが赤々と燃え、
人々の身体と心を温めていました。
人々は丁寧にストーブを管理してくれており、
「チロチロと炎が見えるのがいいねぇ」としみじみ語っていました。

ここの避難所には既に物資は充分に届いています。
「足りないものは?」と聞くと「お金ぐらいだね(笑)」。
まとめ役のお年寄りはストーブに当たりながら、
「もう元の場所には戻れないだろう。再建には何年もかかると思うが、この地を離れたくない」
「震災で絆が深まった近所の仲間と暮ら続けたい」と今の心境を語ってくれました。

(次に続く)