2011年10月13日木曜日

災害ボランティア 活動レポート 9月22日出発メンバー ② 川崎 河野

1日目 9/22(木)南三陸町歌津入りするはずが、
前日の台風の影響で道路が浸水もしくは断絶されている
可能性があることから
翌日9/23(金)早朝4:00に仙台を車で出発して向かった。

東北自動車道を通り、沿岸部に行くまでに夜が明けてきた。
沿岸部に近づくにつれて自動車の山積みスポットが増えていった。

歌津の近隣の志津川付近につくと、
何度もニュースでみた映像が目の前に広がっていった。

震災から約200日が経過しているが、
撤去作業が思うように進まず道路以外津波被害の映像そのままの光景であることに衝撃を受けた。

翌日明るいときに車移動する選択は、『百問は一見にしかず』通って見てみれば正しいと実感した。

そんな景色をみている間に、目的地の歌津キャンプ場に到着した。

恒例になっている早朝ラジオ体操を済ませ、ミーティングを実施。

ミーティングでは直近まで優先順位や状況が変わることから
その日の仕事が朝分かることも稀ではなさそうだった。

行政やまわりのボランティアと調整しながら、
刻々と課題が変わっていく大変だなと感じる一方、
軽快に活動しているボランティア主催者の根気に脱帽した。

ミーティング後午前中の仕事を割り振られた。

私は近くの歌津中学校に行き、海外から支援されたおもちゃ(残り物)を再整理した。

おもちゃを種類ごとに数え、きれいなダンボールに詰め替える地味な作業。

だけど、遠い戦後から現在の子供までアナログで楽しめるおもちゃが懐かしく、
少しでも子供たちが癒されるのであれば無言のおもちゃも温かかく感じた。



この作業は午前中に終わり、午後はいよいよ瓦礫の撤去に入った。


どちらかというと2日目に高校生が団体でボランティアに来るため、
大人として指導するために作業内容を事前に知ってほしいとのことだったので短かった。


作業はなき家の残材の積み上げを手で燃えるもの(木材・紙・プラ・瓦礫等)と燃えないもの(金属屑)に分けながら撤去すること。

事故・病気・感染予防にヘルメット・ゴーグル・マスク・皮手袋等をしないといけなかった。




たった1時間半(休憩含む)の作業だったが、
撤去しても撤去しても出てくる残材に夢中になりあっと言う間に終わってしまった。

時折、生活感を感じさせる手鏡、婚約指輪のケースと思われるものや
子供の洋服など胸をうつものもあった。

正直なんともやりきれない気持ちだった。

数日後、日経新聞(電子版)に掲載されている記事をみて思った。

三重県鳥羽市(国崎町)に「高台に集合移住した国内最古の例」というコラムだ。

1498年の大津波で約1万人が犠牲になり、高台に移住したという。

500年以上が経った今でも海辺に民家はほとんどない。津波の教訓から家を高台に建てるのが『しきたり』で、猟師でさえ高台から浜に通うのが普通なのだという。

生き残った人から話を聞き、ボランティアを通じて行動し、関わり、その結果を伝え続けるように、活動を続けるべきだと改めて思った。



2011年10月5日水曜日

災害ボランティア 活動レポート 9月22日出発メンバー ①

924日:活動2日目】


姫路循環資源製造所の山崎です。
GWに続き、今回で2回目の被災地ボランティア参加です。
震災から半年が過ぎて、どの程度復興が進んだのか、ということや
地域の方はどう過ごされているのか、自分の目で確かめたいという思いもあり参加しました。


2日目の活動内容のご報告をします。

2日目は、1日目に引き続き、拠点近くの泊浜(とまりはま)
瓦礫・漂着物の片付けを主に行いました。

RQ歌津メンバー以外に、
ツアーで関東方面から来られた中・高校生の子と親御さん
総勢20数名の方々も加わり、RQボランティアも合わせると、
30名前後での活動になりました。

活動前の様子はこんな感じです。






元は水産加工工場であったという場所が、今は跡形も無く、
瓦礫や漂着物で埋め尽くされています。

午前9時ごろ、作業開始。
ガラス・鉄くず・段ボール・壁材等分別しながら集め、それを近くの集積場まで何度も軽トラで運びます。





最初はこんなに大量のものを片付けられるのか、と不安もありましたが、
さすが大人数でやっただけあり、
午後3時の活動終了時には、そこにあったガレキ・漂流物すべてとまではいきませんが、かなりキレイになりました!!



そして、夕方からは、ツアーのみなさんと、地元の大人の方や高校生も一緒に
RQ
拠点にてバーベキューをして親睦を深めました。

途中、地域の方に震災当日の様子などを詳しくお話いただく機会もあり、
一同真剣に聞き入っていました。
私も、実際の生の声を聞かせていただき、改めて津波の恐ろしさや
命の大切さを感じました。


今回、私が活動に参加して感じたことは、一言でいうと、
震災復興にはまだまだ時間がかかるということ、
そして、まだ人手はたくさん必要だということです。
津波被害があった場所は、半年たってもまだ瓦礫や漂着物が多く残っており、
復興への道のりの長さを物語っていました。
場所によっては全国から届いた救援物資がまだ残っており、
その配布にもっと人手が必要だという話も聞きました。
また、今回は周辺の住民の方などから
震災当日の津波の様子や現在の状況・お気持ちなどをお聞きし、
地域の方は今大変な苦境にさらされているというのを節々で感じました。
心のケアの必要性も前回以上に感じました。

しかし、そんな中でも地域の方々は、
お仕事の再開等に向けて日々前向きに取り組んでおられます。
そんなお姿を拝見して、逆にこちらが勇気や元気をいただきました。


会社からのボランティア参加は、今回が一旦最後になりますが、
私個人としては、東北の方の思いをつなぐために、
自分の地元で出来ることを行い、
「まだ震災は終わっていない」ということを伝えていきたいと思っています。

いつか、東北が綺麗な姿を取り戻し、人々に本当の笑顔が戻るまで…

2011年10月2日日曜日

被災地ボランティアレポート 9月15日出発 ②

堀の2日目午後の仕事----------------------------------------------------

 午後は一転、さえずりの谷のディキャンプ場作りを行いました。
リーダースパイダーさんの元、子供たちが楽しめるスペース作りとして、
キャンプ場の設営を計画したようです。

子供たちがそのスペースで安心して遊んでいる傍ら、子供のお母さん達の手が空き、
違う仕事が出来るようになったり、たまにはそのお母さん達の憩いの場となればと...

色々な効果を期待しつつ計画を練っているようでした。

 次の日が開催日ということもあり、皆急ピッチで作業に当っていた。
私の仕事はドラム缶風呂の階段作りとテントの設置、軽トラでの荷物の運搬が主な仕事でした。
子供たちがこの場所で楽しく遊んでいる笑顔を想像しつつ...









村上さんの2日目午後の仕事----------------------------------------------------

 さえずりの谷のディキャンプ場作りの中で、
奥へと続く森を子供達に探索してもらおうと
いう企画の基、そのルート整備の手伝いに参加しました。

 左右どちらのルートから行っても最終到達点の“見せ場”
となる小川のほとりには、天然の蔦にしがみつき、
川の向こう側に渡る“ターザン超え”や、
倒木を橋にして、その上を横に延びる蔦につかまりながら向こう側まで辿りつくという、
結構難易度の高いアトラクション?作りの手伝いました。

 事前視察?に来てくれた近所の小学生二人と一緒に探索をしながらの作業になりましたが、
二人は道らしい道がまだない森を進んでいくことが本当に楽しいらしく、
明日のキャンプ場オープン初日には沢山の友達を呼んできてくれると約束してくれました。

1日目の“アミクリ”(網のクリーニング)もそうでしたが、
“瓦礫の処理”や“ゴミ集め”
といった
“復興に向けて、まずフラットな状態にするための支援”
のフェーズから、生活を営むために必要なもの(漁網など)、
や余暇(キャンプ場など)、
に対する支援に内容が変わってきているんだなという事を強く感じました。

 また、今回少しでしたが現地の方達との交流がありました。
小学生とその親御さん、キャンプ場の土地を提供してくれている老夫婦(仮設住宅暮らし)。
南三陸町の有志の方達。

そのすべての人が、前回訪問(5月)に比べ、何か“いきいき”としていて、
地に足をつけて、やるべきことをやり、楽しむ事を楽しみながら生き抜こうとしている様に感じました。

本当にこちらが元気をもらうという様な。。。

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2日目終了。二日間という短い時間ではありましたが、
ボランティアの現状の一部を垣間見ることが出来たと思います。

私が行った活動が歌津の皆様にどれほどの支援となったかはわかりませんが、
ただ、被災者、被災地を支援する形は様々であり、
そこに共通している事は関わっている全ての人たちが、
被災地のいち早い復興を願っているという想いが集まってるという事。

現地に入ることでより身近に感じることが出来たと思います。
 RQに参加している方々の素性は様々です。
皆それぞれの想いを持ってこの場所に乗り込んできていました。
一人一人の出来ることは極僅かです。

その僅かな力がRQという団体を通じて集まり、大きな力となっている。
ボランティア団体にはそんな役割があることも生で感じることが出来ました。

以上

2011年10月1日土曜日

被災地ボランティアレポート ボランティア9月15日出発 ①

■内容
RQ災害支援センター 歌津センター

9月16日(金)

 活動初日、朝ミーティングの後アミクリ(網のクリーニング)作業班として出発。

猟師さんからの要望で漁で使用する網に絡まったゴミ等の除去作業。
リーダー田中さんの元、登米からの応援スタッフ2名とアミタ2名の5人で作業にあたった。

非常に地味な作業であった。
ただ、この網を使って漁が再開できることを祈りつつ作業にあたった。

 活動初日完了。

ボランティアへの参加が初めてであった私にとっては、描いていたイメージとはかなりかけ離れた感じを受けた。

被災者に直接何かをするイメージを持っていたからだ。
しかし、同時にこういった間接的な仕事が重要であるとも感じた。

誰かがやらなければいけない仕事があり、
その「誰か」という細かな役割をボランティアが担っていることを知りました。
メディアには到底出てこないようなところで、様々な人たちが活動しているんだと実感しました。

~百聞は一見にしかず~






9月17日(土)

 活動2日目、午前中はテント(物資置場)内の整理。

まだ配給前の支援物資を保管してある倉庫を、猟師さんからの依頼で、
設備機器を置きたいとのことから整理することになった。

野犬さんをリーダーに10名程度で対応。
人数が多かったこともあり、午前中で作業が完了。
そこには支援物資の余りがあり、配りたいけど配れない事情があるとの事でした。

量にも限りがあり、届いた人と届かない人との差が出てしまう為のようです。

被災地の現実を見たような気がした。